小学3年生の旅育、広島平和記念館①

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みなさん、こんにちは綾ひさよです。

2学期が始まり1ヶ月が経ちましたね。

お子さんもママもお疲れが溜まっていませんでしょうか?

我が家は先日、少し遅めの夏休み旅行で広島へ行って参りました!

目的は、ずばり「広島平和記念資料館」です!

今回の記事では、子どもと一緒に平和を学びたいけど、連れて行ってトラウマにならないか?うちの子にはまだ早い?修学旅行で行くから、家族旅行では広島以外をチョイスすべき?と迷われている方に情報をお届けします!

こんな人にお勧め記事です

♡小学校低学年の子どもを広島平和記念資料館に連れていきたいが、トラウマにならないか?心配な人

♡旅行の体験を、子どもの今後の学びにどう活かすか知りたい人

何故このタイミングで原爆資料館に行ったか?

それはズバリ、「はだしのゲン」にはまった子どもが「広島に行きたい!」と半年間ずっとリクエストしていたからです。

学校の図書館においてあるはだしのゲンを読みあさり、戦争の悲惨さを初めて知った娘。

今年の広島サミットの様子をテレビで見て、「各国のえらい人が、平和記念公園で手を合わせている..!ということは、私も手を合わせにいけるの?!」と行きたい思いを募らせていました。

今まで旅行先を選ぶときは、「プールのあるホテル」や「近隣にテーマパークがある」など、「子どもが喜びそうであろう場所」を「親」が決めてきました。

でも今回は子どもの熱い要望のおかげで、自然と行き先が決まりました。

一瞬、「といっても広島って修学旅行でも行くだろうし、今じゃなくてもいいのでは?」と頭をよぎりました。

でも

綾ひさよ
綾ひさよ

「鉄は熱いうちに打て」

って言いますよね。

強い興味関心を持っている「今」だからこそ、自分からいろんなことを吸収して学べるのではないかと思いました。

広島は牡蠣や穴子、海産物も美味しい。

海鮮好きのパパが快くOKできるよう、プレゼンも工夫を凝らしてあっさりOKをもらいました。

こういった経緯で、我が家の人よりちょっぴり遅れてやってきた夏休み旅行は広島に決まったのです。

いざ広島、平和記念資料館へ!

1日目は宮島の厳島神社へ向かい、郊外の旅館に泊まっていよいよ2日目、平和記念資料館へ。

祝日の朝11時くらいに到着したのですが、入場するまで長蛇の列。更に入場してからもチケットを買うまでに行列をなしていました。

外国人の方も多く、娘と「アメリカ人はどんな気持ちでこの資料館に訪れるんだろう..」なんて話しながら順番を待っていると、あっという間にチケットを購入する順番が廻ってきました。

入場料は大人200円、小学生はなんと無料。広島市主催の公益社団法人が運営しているのですね。

被爆前の広島、そこに住まう笑顔の子ども達

厳しくもあたたかいまなざしを向けてくれる先生、それぞれお互いの個性を認め合い絆が深いクラスメイト、そんな安心安全な場所である学校で自然と溢れ出る満面の笑み。

被爆前の広島写真展の中で目をひいた、「健康なこころと身体で幸せに生きる権利のある子どもたち」。

「絶対この子達は今も生きて、笑顔で過ごしてるよね、ママ」

写真の方に身体をむけたまま、いつもより低めのトーンで話しかけてきた娘の様子を見て、身体がこわばっていく感覚を自覚しました。

綾ひさよ
綾ひさよ

「幸せに生きる権利を侵されていい理由なんか、ないもんね。」

私なりの精一杯の回答をしながら、娘と手を握り直して、奥の展示ルームに向かいました。

1945年8月6日のヒロシマ

展示室に入る前に「現実を知ってもらうため、残酷な写真も展示しています。小さなお子様の保護者の方は、お子様に十分留意してください」(意訳あり)との表示がありました。

「ハダシのゲン」の描写が大丈夫だったら、実際の写真も大丈夫だろうと迷い無くここまで来ましたが、再度子どもに問います。

子どもはこくりとうなずきます。

念のため「怖さを感じたらすぐ教えてね。一旦休憩しても大丈夫やからね」

『被爆の実相』のコーナーには、建物を壊す作業をしていた何千人もの生徒が苦しみながら亡くなった様子を、様々な遺品が訴えます。

中でも印象的だったのは、作業員の方が一休憩しようと腰掛けた石畳が現物のまま置いてあったこと。

被爆した瞬間、腰掛けたはずの人は、何が起こったかわからないまま一瞬にして消えてしまいました。

座っていたはずの場所は人型に黒くなっていました。

悲惨さを物語る写真

展示コーナーを進むと、一人ひとりの暮らしぶりや被爆状況、苦しみに迫った写真コーナーがありました。

それらを見て気づいたのは、原爆は一度受けたら、その時だけではなく半永久的に苦しまなければいけないということ。

悶えるような想像を絶する苦しさ。

別れを告げられずご遺体にも会えぬまま家族を亡くした人たち。

被爆して心身共に辛くても、出稼ぎにいけない貧しさ。

そこにはもちろん、多くの子どもの姿があります。

私は受け止めることが精一杯で、娘の様子を見つつ、手をギュッと強く握りしめることしか出来ませんでした。

他にも、「核兵器の危険性」や「広島の歩み」をテーマにした展示物もあり、子どもと一緒に見学。

最後にお土産ショップで「はだしのゲン」の絵本を買い、入場~資料館を後にするまで所要時間は約2時間。

祝日で観光客が多く、思ったところにはスッと進みにくくはありましたが、順番を待てば十分に鑑賞できました。

子どもは前に大人がいるので見にくい箇所もあったようで、「もう1回あそこ見たい」と戻ったりもして比較的じっくり時間をとりました。

被爆体験の伝承講話も行っていましたおり(予約ナシ、所要時間約1時間)、そちらは時間の関係上、今回は残念ながら聞けなかったのですが次回は絶対に聞きたいねと言いながら資料館を後にしました。

平和記念公園を散歩しながら感じる、1945年と2023年

そのまま平和記念公園に入り、原爆死没者慰霊碑に手を合わせます。

この日は、真夏並みではないものの、よく晴れていて、青々と茂る木々、太陽が反射してキラキラした川の水面が一面に拡がっていました。(写真を取っておけばよかった汗)

8月6日も広島は快晴で雲ひとつなかったそう。

資料館で見た映像が脳裏にやきついたまま、「親子で、健康な身体で、この場所に立っている自分」を客観的に感じながら、原爆ドームへ向かいます。

「本当に来てしまった・・」

はだしのゲンの漫画を読み込み、朝も夜も、ゲンや家族の辛さを一生懸命私に伝えてくれた娘が漏らした一言。

私は言葉にならない気持ちで、ただ前に立ち尽くします。

当時建物は大破、全焼。館内にいた全員が死亡。

爆風が上方から垂直に働いたため、現存の姿となっているようです。

(参考:広島市HP「被爆に関すること~原爆ドームは爆心地にとても近いのにどうして崩れずに残ったのですか」

原爆ドームを記念物として残すという考えと、危険構造物なので被爆の悲惨な思い出が蘇ってしまうから取り壊すという考えに分かれていたそうです。

世界の平和を願う多くの人々の願いと努力により数回の保存工事を行いながら、現存されています。

子どもと「今」一緒に広島原爆資料館に行く意味

結論から言うと、興味のアンテナがめちゃめちゃ高い今だからこそ、連れて行ってよかったです!

平和記念資料館の最後に、感想を記帳するノートがあるのですがそこに子どもの気持ちを本人の言葉でしっかり綴りました。

ある外国人の方と思しき方のメッセージ内、資料館のことを「loser museum」と記してあり、意味を知った娘は激怒。

英語の文脈としては、平和な未来をお互いに祈りましょうということでしたが、なぜこの表記なのか?

戦後のアメリカでは、原爆を肯定して教育が成されてきたので、国の事情や思想、教育内容が異なること。

それらを噛み砕いて説明する親の力量不足を感じながらも、親子で考えを伝え合う。

人が違えば考えも違う。国も違えば考えももっと違う。

そんなことをうっすらとでもいいので、理解してくれたかな?と思います。

今回は書き切れませんでしたが、次回は広島原爆資料館周辺のお勧めスポットもレポートします♡

まとめ

♡鉄は熱いうちに打とう。子どもの興味さえあれば、親子で平和について語り合える貴重ないい機会になる。